floortok

Journal

·
分析

円安の日本が「世界最安のラグジュアリー市場」になった理由

2024年に1ドル=146円台だった円は、いまや163円を超える水準まで下落した。この価格優位性を最も雄弁に語るのは百貨店のレジだが、その一方で店を訪れる訪日客の数自体は、足もと増加が止まっている。

銀座の百貨店フロアで買い物袋を提げた来店客がショーケースの前を歩く様子。床のパターンに円マークがあしらわれている
イラスト:floortok.com

2024年1月、1ドルは146円29銭だった。米連邦準備制度(FRB)の月次為替データによれば、2026年6月には160円77銭まで下落し、前年同月比で約11%の円安水準となった。下落はその後も続き、日本銀行が公表した相場では7月28日時点で163円80銭に達している。円安が一段進むたびに、銀座の店頭で円建て価格が付いたバッグや時計は、ドルやユーロで見ればさらに値引きされたのと同じ効果を持つ。

その値引き効果が最も分かりやすく表れているのが百貨店の売上高だ。経済産業省の商業動態統計によると、2026年5月の全国百貨店売上高は5,137億円で、前年同月比7.6%増と2024年6月以来もっとも高い伸び率を記録した。伸び率は2月の1.6%から3月2.3%、4月4.5%、5月7.6%と着実に加速している。外国人客の財布と直結する免税・タックスフリーカウンターが、この増収の中心にあるとみられる。

だが訪日客数そのものは増えていない

「円安が訪日客を呼び込み続ける」という単純な図式には、ほころびが生じている。日本政府観光局(JNTO)によると、2026年6月の訪日外客数は前年同月比6.8%減の315万人にとどまり、2026年上半期の累計(2,108万人)も2025年同期をわずかに下回った。JNTOは便数の減少や一部市場での台風による欠航を要因に挙げる一方、台湾・韓国・ベトナム・インド・オーストラリア・米国を含む15市場は、それぞれ6月として過去最高を更新したという。

この分裂が示すのは、客数の増加だけではもはや説明がつかないという事実だ。観光庁のインバウンド消費動向調査によれば、2026年1-3月期の買物代は5,895億円で、訪日外国人旅行消費額全体の実に4分の1を占め、3年前の同時期(2,417億円)の2倍以上に達した。客数の伸びが鈍る中でこの増加が続いているということは、「より多くの訪日客」よりも「より少なく、より多く使う訪日客」への構造変化が進んでいることを意味する。

価格・商品・立地、すべてが同じ方向を指す

仕組みは単純な価格裁定だ。円建てで価格が変わらなくても、円安が進むたびにドルやユーロ、ウォンで見た実質価格は下がり続ける。メゾン各社が日本の旗艦店への商品配分を優先するのは、この成長を一過性とみていないからだ。不動産市場も同じ見立てをしている。国土交通省の地価公示によると、銀座の基準地価は2026年時点で1平方メートルあたり6,710万円と前年比10.9%上昇し、20年連続で全国首位を維持した。

日本の店舗運営に携わる者にとっての実務的な教訓は、来店客数がもはやかつてほど信頼できる指標ではないということだ。訪日客数が横ばいないし減少に転じる一方で円安が進む今、成否を分けるのは「何人来るか」ではなく「来た一人ひとりにいくら使わせるか」になる。これは単純な客数勝負よりも、クライエンテリングや選び抜かれた品揃え、正価販売比率を重視する経営を後押しする変化であり、円がさらに下落すればこの傾向は一段と強まるだろう。

2026年前半:百貨店売上は円安と歩調を合わせるが、訪日客数はそうではない

前年同月比(%)

−6%0%15%1月2月3月4月5月+0.1%+2.3%+6.5%+10.4%+9.2%+2.2%+1.6%+2.3%+4.5%+7.6%−4.9%+6.4%+3.5%−5.5%−3.6%円安幅(前年比)百貨店売上高訪日外客数
米連邦準備制度(FRED)、経済産業省 商業動態統計、JNTO · 作図:floortok

値引き幅はユーロと人民元でさらに大きい

ドルだけがこの物語の全てではない。円はドルに対してよりも、ユーロや中国・人民元に対してさらに速く下落しており、欧州や中国からの買い手にとって値引き幅はいっそう大きい。米連邦準備制度(FRB)の月中平均でみると、2024年1月以降、1ユーロは159円から185円へ、1元は20.4円から23.7円へと、いずれも約16%上昇した。ドル(146円→161円、約10%)を上回る。平たく言えば、2024年初めに欧州の買い手にとって約627ユーロだった10万円のバッグは、いまや約540ユーロ——およそ14%安い——であり、人民元でもほぼ同じ値引きとなる。ドルで支払う米国人が得る9%の割安感を上回る水準だ。

2024年1月と比べ、各通貨で買える円はどれだけ増えたか

1通貨あたりで買える円の増加率(2024年1月比、%)

+16.3%人民元+16.1%ユーロ+9.9%米ドル
米連邦準備制度(FRED)月中平均、2024年1月と2026年6月の比較 · 作図:floortok

だからこそ、画面上の円相場と同じくらい、売り場に立つ客の国籍が重要になっている。ユーロと人民元がドル以上に円を買えるようになるなか、それを手にした訪日客——そして彼らを取り込むメゾンや売り場——こそが、日本がこの一世代で提示した最も深い値引きを享受することになる。